三国志検定 〜諸葛亮孔明編〜 解答・解説

<Q.1>
正解→1
孔明が幼い頃、彼に連れられ、戦乱の故郷から脱出しました。2は諸葛亮の兄で、呉に仕えました。3は2の子供で、呉の末期に活躍した人物です。

<Q.2>
正解→2
3はホウ統のことです。司馬徽は、「臥龍と鳳雛のいずれかを登用できれば、天下統一できる」と話していました。劉備は両人の登用に成功しますが、天下統一できませんでした。1は関羽のことで、立派な髭をしていたので、こう呼ばれていました。

<Q.3>
正解→3
劉備は、彼の推薦で諸葛亮を知る事になりますが、徐庶に関しては、架空の人物という話もあります。

<Q.4>
正解→3
孔明のこの計略により、魏呉蜀の三国時代に突入していきます。ちなみに1は、項羽と劉邦時代に活躍した韓信が発案した計略、2は曹操の軍師である荀彧が発案した計略です。

<Q.5>
正解→1
黄承彦の娘が孔明の妻です。2は孔明の親友、3は曹操を悩ませた妖術師です。

<Q.6>
正解→2
劉備は李厳に厚い信頼を寄せていました。が、この後諸葛亮と李厳は不仲になり、トラブルを巻き起こしてしまいます。

<Q.7>
正解→1
劉備は馬謖を「口先だけの男」と見ていました。しかし、諸葛亮は彼の才能を愛し重用します。その結果、かの有名な「街亭の戦い」での大敗を招き、「泣いて馬謖を斬る」という故事が誕生しました。ちなみに2は劉備に一目置かれ、魏との要所である漢中の守りを任されました。3は蜀滅亡を招いた宦官。

<Q.8>
正解→2
南蛮征伐の際、人頭を祀って自然災害を防ぐという風習を知り、人頭の代替食品として、小麦の練り物の内部に肉団子を包み込んで、人頭に見た立てとのことです。そこから「饅頭」という言葉ができたそうです。

<Q.9>
正解→3
当時はまだ踏んで爆発するのではなく、単に地面に火薬を埋めて爆発させるというものでした。2の連弩も孔明が発案したもので、弓を雨のように降らす武器。これは、Q.12の戦いで大いに活躍しました。

<Q.10>
正解→1
「空城の計」と呼ばれるものです。魏軍到着まで4時間しかない中で考えついた計略です。相手がとても慎重で疑り深い武将「張郃」だから通用した計略でした。張郃は城の様子を見て「これは孔明の罠だ!退け!」と言って戦うことなく引き返しました。こうして孔明は1兵も失うことなく撤退に成功したのです。

<Q.11>
正解→3
魏軍が攻めて来た事を慌てて告げに来た時、誤ってロウソクを倒してしまいました。それが皮肉にも孔明に反感を抱いている魏延でした。

<Q.12>
正解→2
元の名は「廖淳」。最初劉備に仕えており、関羽とともに荊州を守っていましたが、関羽が呉に破れた時、呉に投降。その後、劉備の元へ戻りたい一心で自分が死んだデマを流して老母とともに脱出。そして「廖化」と改名し、蜀の猛将として活躍しました。

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