「馬鹿」の由来

26 02 2009

三国志の時代のずっと前、秦から前漢にかけての時代、中国史上超偉大な大将軍が活躍しました。その人の名は「韓信」。彼の軍事能力はとても凄く、国士無双とまで呼ばれていました。韓信がいなければ、劉邦は中国を統一できなかったでしょう。しかし天下統一後、韓信は劉邦にその力を恐れられて冷遇された結果、悲惨な最期を迎えることとなります。私は活躍していた頃の韓信しか知らないので、最期はどんな一途を辿っていったのか知りたくて、今「韓信」という本を読んでいます。前置きが長くなってしまいましたが、「馬鹿」という言葉はこの頃誕生したというエピソードがあります。

秦の侵略により男性のシンボルを切り取られた宦官「趙高」は、秦への怨みを抱きながら秦の始皇帝に仕えました。そして始皇帝没後、2代目皇帝「胡亥」にうまく取り入り、ついに政治の実権を掌握しました。ここで自分の権威を示すためにある事を行います。ある日、主だった重臣達がいる前で皇帝に向かって「素晴らしい馬を献上します。」と言って鹿を1頭連れてきました。それを見た皇帝が、「これは馬ではなく鹿ではないか。」と言うと趙高は、「そうですかな。私には鹿ではなく馬に見えますが・・・。」と答え、重臣達一人ひとりに「あなたには馬に見えますか?それとも鹿に見えますか?」と聞いていきました。この時趙高を恐れた者は皆「馬に見えます」と答えましたが、「これは馬ではなく鹿だ」と言う者も多くいました。この後趙高は、「鹿」と答えた重臣達を全員殺してしまいました。「自分に逆らう者はこうなる」と見せしめにすると同時に、皇帝に「自分に逆らうな」とほのめかしていたのです。本当に馬鹿馬鹿しい話ですが、これが「馬鹿」の由来とされています。

それにしても、日本では稲作技術がやっと東北まで届いた時代だったことを考えると、昔の中国は本当に偉大だったのだと感じました。

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